桂川潤さんのこと 1年が経って

2021年7月5日、装丁家桂川潤さんが亡くなられた。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14970090.html

桂川さんが亡くなられて1年が経った。昨今は訃報が多すぎるけれども、自分の店を「これでもか」と応援してくださり、厳しくも温かな声をかけてくださったことを忘れない。そのために、草稿としてでも記しておきたい。いつまで経っても書かないかもしれない、自分のあまりの怠惰を戒める意味を込めて。

私は上記の記事よりも早い段階で訃報を知った。全く言葉が出なかった。とにかく、どうして、なぜ、なぜなんだ、という思いでいっぱいだった。電話をくれた私の師匠もまた、にわかに信じがたい、と言っていた。決定的な瞬間というのは、そのときの状況を鮮明に記憶しているものだ。私はその時、店舗は休みで、部屋のベッドに腰掛けていて、師匠と濃密な話をしたことを覚えている。

その後に、各方面へ、主に仕事で関わった方々へ連絡をした。あの1週間はそうした連絡のやり取りも忘れがたい時期であった(ちょうど1年前の時期ではないか!)。同時に、いかに桂川さんが多くの人と「良い」関わりを持っていたのか、それを思い知らされた。皆、桂川さんの死を受け入れることができないような、そんな印象を受けた。それぐらいに、桂川さんは敬され、愛されていたと思う。

個人的な話になるが、桂川さんとの付き合いは、2014年、東京外国語大学出版会刊行の、主に入学生へ向けた読書冊子『pieria』への原稿依頼から始まっている。当時、私はそこでアルバイトの編集を請け負っていた。編集委員の先生から受けた執筆者候補のなかに、私は迷わず桂川さんを挙げた。すでにそのお名前を知っていたこともあるが、何より特集が「書物」であったから。連絡し、快諾してくださり、桂川さんはウンベルト・エーコジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(工藤妙子訳、 CCCメディアハウス、2010)を引きつつ、書物の存在について深淵な、しかしとてもやわらかい考えを展開してくださった。〈現実と異界をつなぐ扉〉というタイトルを付し、装丁者として本を哲学的に考える桂川さんの文章に引き込まれた。

 

 

 

それから、私が古書を扱う書店を開いたことで、桂川さんとの距離は一気に近づいた。2ヶ月、3ヶ月にいっぺんは、必ず店に来てくれた。同時に、メールではとても気遣いのある連絡をもらった。時に飲みにいき、「伊藤くんさ。書店、いや古書店はね。話ができるってのがいいよね。居酒屋的なさ」とおっしゃっていた。実のところ、私はそれを当時、よくわかっていなかった。ただ、今となっては本当にそのとおりだと思う。桂川さんは、私の店のスタイルを見ぬいていたのだと思う。

編集者や版元の担当者は桂川さんの人柄を知り得ていたと思うけど、驚くほど人懐こく、愛情深く、優しい、しかし同時に厳しくも的確な助言をくれた方だった。年齢差を超えた友人でありながら、書物のプロフェッショナルとしての職人と、あんなふうに語りあえたことは奇跡のようだった。

忘れがたいのは、コロナ前の2019年の『弦楽四重奏曲全集 古典四重奏団(5CD)』刊行記念イベントだ。そこに至る経緯も数多くあり、そこには前スタッフの(す)さん、美術家のコイズミアヤさんが大きく関わっているのだが、長くなるので別稿としたい。

ともあれこのCDのアートワークはコイズミさんが担当され、ディレクション桂川さん。イベント当日はショスタコーヴィチの音楽に隠された謎、アートワークについての背景など、さまざまなお話があった。その刊行記念でもあったのだが、当日はなんとメンバーの田崎瑞博さんが来られ、当店のあの狭い空間でJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番~プレリュードの演奏もしてくださったのだった。マニアにはおそらく垂涎ものの会だったはずだ(実際、後日そのように言ってくださったお客さんが何人もいる)。

 

 

そして会が終わったのちのささやかな打ち上げで、桂川さんのティンホイッスルだったと思うが、アレグロでの即興があった。なんという多才。店にいたみんな、喝采の声を桂川さんに向けていた。私はお客さん対応でてんてこまいだったが、多くの人を魅了する存在そのものに呆気に取られていた。

 

前後するが、2018年の秋か、そのあたりだったと思うが、私がもろもろを思い悩んでいたとき、桂川さんは「気分転換に」と言って、ドライブに誘ってくださった。行き先は国立ハンセン病資料館で、周辺の散策もした。資料館は2回目だったと思うが、その時は展示をじっくり拝見した。そのとき、桂川さんの若い頃だろうか、ハンセン病患者の方々の記録を残す活動などをされていたことも知った。いま思えば、間接的に多くの視座を与えてくださったのだ。私はその時、なにかさらに考えようとしていた矢先だったのだが、そこで桂川さんは、「じゃあ、ご飯にしよう!」とか言って東久留米卸売市場まで私を車で連れていき、「ここがいいんだよ、刺身定食がね!」 と屈託なく笑いながら、案内をしてくださった。こういう切り返しが、なんとも桂川さんなのだ。

多くの人が、桂川さんの愛情溢れる人間性に惹かれていたのではないだろうか。私は全く持ってそのひとりだ。デザイナー、装丁者、出版人として、業界を真摯に考え、そこで真剣に生きた人。同時に、書店、古書店、そこで働く人々への敬意を決して失うことなく、同じ目線で愛を注いだ人。もっと言って、本を愛するすべての人に、高低のない視点で接することができた人。私は桂川さんをそんな人として、いま思い返している。

なんだか最近は本当に訃報が多くて、ちょっとついていけない。もちろん、すべての人はやがて死ぬ。ただ、私は桂川さんについて書きたかった。というより、忘れない、ということを自分に課す必要がある気がしたのである。「書けて」などいないのだが、書物について、そして人について、多くのことを教えていただいた大恩人の一人に、没後1年を期して、心からお礼を申し上げたいと思います。

 

桂川潤さん、ほんとうにありがとうございました。わたしは、まだそちらには行きませんが、その際には、ぜひ楽しく、美味しい酒を飲み交わせることを。