夏の終わりの覚書

 

2022年の8月はかなり休みを入れた。「自身を休ませる」こと、意識的にそうする必要があると以前から考えていたので、多少は立て直す時間をとることができた。すでに9月に入り、朝夕はようやく涼しくなってきた。季節の終わりはどこか寂しい感じもするが、気持ちは落ち着いてくる。

 

メメント・モリの声

 

ところで振り返ってみると、今夏の休みには三つのことをしようとしていた。

一つは、昨年中に終わらなかった宿題をここで挽回すること。確定申告(!)、終わらなかった査定などがずっと残っていたのは精神的によくなかった。現時点で査定を含めた業務の九割がたはクリアしたので、ほっとしている。

もう一つは、体調を整え、根本的に体と向き合うことであった。50歳を目前に控え、このままだと非常に良くないと直感したからである。昨年は年末にかけて、体が大きく、カーブを描くように丸味を帯びていったのだが、信じ難いことに、今年の3月と比べて体重は8キロ近く減った(食事やアルコール、運動などあれやこれやと取り組んだわけだが、まあまあ努力した甲斐はあった。過信は禁物)。

三つ目。自分の時間を確保して、本を読んだり、出かけたり、体を動かしたり、そして(これが大事なのだが)考えること、である。

この三つのことを念頭に置いて休んでいたのだが、ふとこれら三つのことはそれぞれに関係しあっている、と気づいた。とくに、心身の状態を崩し、かつ文化にふれる機会が減っていくと、結果的に〈仕事〉がうまくいかない。

また、仮に良い仕事をしても、その反動で心身の状態が崩れてしまえば、文化に触れる機会も減り、やがて仕事にもネガティブな影響が出るだろう。下手すると、その仕事自体も失ってしまう。なにかが間違えば、死んでしまうことだってあるかもしれない。

実際、そうやって壊れたり、壊れそうになっている人を少なからず見てきた。歯止めが効くかどうか、追い込んでいる(追い込まれている)ことへのコントロールが可能かどうかについては、その人が生来的にもつ特性にもよるかもしれない。周りの気づきも必要だろう。

心臓神経症というのがあるそうで、私はいっときそれを疑った。いまも実はそうだ。診断を受けたわけではないので、なんとも言えない。春先の検査ではなんともなかったが、いっときは「これはまずいなあ、死ぬかも」と思ったことは確かである。心臓に負担がかかることで、これほど〈死〉を身近に感じるとは思わなかった。

メメント・モリという警句はしかし、翻って生のありようをそのまま自分に問いかけてくる。この言葉がどこからか聴こえてくるように突然に思い出したか、あるいは読んでいた本の片隅に書かれていて、改めて気づかされたかはわからない。もしかしたら、心臓の拍動が「死を想え」と言っていたのかもしれない。

私はこの休みをとってよかったと思っている。休みは大事だ、ほんとうに。

 

「時間について考える」時間

 

休みの目的の一つであった(というか結果としてそうなった)ことは、文化の養分をたくさん摂取する、あるいは旅行でもすることであった。確定申告はなんとかなったし、母親の介護にかかる時間などを考慮しつつ休んでいたとき、私はあることに気がついた。それは、(当たり前すぎてほとほと呆れてしまうのだが)時間には限りがある、ということであった。これに気がついたとき、ほとんど人生の半分以上を無駄にしてきた気がして、途方に暮れてしまった。なんということだ......というような。

私は実家の整理をしながら、時間、時間が大事なんだ、大事な時間が大事、などと、ちょっとよくわからないようなことを頭の中で唱えていたような気がする。そうやって、休みを過ごしていたのだった。

しかし、気がつかないよりはよいだろう。〈かぎりある時間〉について、それをどう配分すればよいか。せっかく休みをとっているのだから、自分の好きなことを、時間をやりくりしてすればよい。さらには、普段できないこともできるだけしようと思い直すことにして、日常のタイムテーブルを組んだ。

 

ヤン・ヨンヒ監督『スープとイデオロギー』鑑賞(渋谷・ユーロスペース

「遠藤滋さんを生かし合う会」参加(世田谷・梅ヶ丘パークホール)

鍼灸の先生の新バンドのシークレットライブ

・国立ハンセン病資料館「生活のデザイン」展観覧

・etc

 

いずれも素晴らしく、その場所を去る際も余韻が残るようなものばかりで、かつ大いにこちらの活力となるようなものであった。

『スープとイデオロギー』は在日朝鮮人の母をメインに撮りながら、娘である監督が母の済州島での記憶を辿るドキュメンタリーである。『海女たち』のホ・ヨンソンさんが登場してオモニと話す場面などで象徴されるように、歴史の重み、記憶をどう紡ぎ繋げていくのかという問いは普遍的なものだ。個人的には認知症になっていくオモニの姿に自分の母を思わずにはいられなかった。

「遠藤滋さんを生かし合う会」は、6月にみた映画からの流れの一環だが、遠藤さんという重度障害を生き切った一人の人間の生の在り方に感銘を受け続けている。

鍼灸の先生のバンドはノイズで、ロックで、しかしとてもオーガニックな実験音楽だった。ドラムに銅鑼、タブラ、バグパイプアコースティックギターシーケンサー(?)などで、最前列にはヘッドギアをつけた女性が座り、脳波から出る9ヘルツ信号を音像化して、その音像をベースとした即興を行う......体ごと包まれるようなサウンドに大きな多幸感。

「生活のデザイン」展は、義足などのモノを通じた入所者の方々の生活から、その歴史へアプローチする展示の方法に斬新さを感じた。生活を明るくするデザイン=モノの存在もまた歴史の一部なのだと。

 

そのほかにも、ここ数年できなかったことができた。たとえば、家に棚をつくる、片付けを進める、など。こういうことは時間がないとできないわけだが、なによりも、「時間について考える」時間は、生きていくうえでとても必要なものだとあらためて気づかされた。計画を立てることもそうであるが、踏み込んで言えば、時間を考えることは〈生〉をきちんと意識することである、ということでもあるはずだ。

よく言われることだが、年を取れば取るほど、時間の流れは早く感じられるそうである。確かにそのような気がするし、年々、より強く感じられる。だが不思議と「時間について考える」時間は、時間そのものをあまり感じさせない。時間を忘れて没頭するのとも違う。没頭は没頭で、素晴らしい時間であることは間違いないけれども。

今年の夏は、久しぶりに「考える」ことのできる時間を持つことができた。こうやって何かをリハビリ的にでも書けていることのありがたみを覚書としておく。

 

追記 2022年8月には精神科医中井久夫氏が亡くなられた。著書のいくつかに大きな感銘を受けたことを付しておきたい。