ある本について

4月4日(月) 雨。神保町の取次JRCへ。

寒い一日で、春の寒暖差を体感する午後で、冷たい雨がずっと降っていた。

こんにちは、忘日舎です。そういっていつもどおり店内にある書籍に目を通す。みなさん伝票整理や在庫管理などで多忙であった。

なんだか申し訳ない気持ちを少しだけ抱えながら、新刊、既刊、返本手続きがされたと思われるものをじっくりみて、これはうちでは売れるだろうか、どうだろうか、などと考える。店内を一周する。週ごとの日課のようなものでもある。自分で読みたい本も数多くある。予算との兼ね合いもあるから、財布事情も含めてなかなか難しいのだが、堪え難い楽しみでもある。

 

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今日、この本がささっていて、手に取った瞬間に、ああ、ああこれは素晴らしいと直感した。売れるだろうと思ったし、個人で読みたいな、とも思った。だがいちばんは、装丁なのだった。わたしは今これを書いているけれども、まだ1行も読んでいない。内容はおそらくいいだろうし、だいぶ胸に迫るものだろう、と予感する。

ただ、この本は、ちょっと違うのだ。いい本としての出来映えが違う。これはいい本。もっというと、これこそが本だ、本だよ。皆さん。そのくらいにまで、また素晴らしい本に出会ってしまった、というたしかな感触を得たのだった(盛っているというのではないが、その時の熱量を忘れないように、このように言っている)。

つまりある想像をしていた、ということなのだが、この格子柄の布の画像を、ジャケットで使う紙でどのように再現するか、ということをしていたのではないか。そんなことを考えて、わたしはひとり悦に入り、ああ、いいなあ、とずっと「立ち読み」ならぬ「立ち眺め」をしていたのだった。人差し指をそのジャケットのうえではしらせる。持ち重りも確認してみたりする。コンパクトで、控えめで、しかし内容も含めて間違いなく買いたくなるような本。

わたしは、「本は物である」といった桂川潤さんのことも思い出した。本は物質で、存在している。本は、触るだけで、こちらの精神を揺さぶるような〝もの〟なのだ。

今日は天気がよくなくて、調子もそれほどいいとは言えなかった。だがなんだか久しぶりに原点に立ち返ることができたような気がして、またひとり悦に入っていた。結局一冊だけ買った。来週末以降には入荷できるよう、手配を進めようと思う。

 

村井理子『家族』(亜紀書房、2022年)

装丁:名久井直子DTP:コトモモ社/印刷・製本:株式会社トライ