閉店のお知らせ

 

当店は2024年3月25日をもって実店舗を閉店します。正式な閉店日は未定です。店主の体調不良、家族介護の状況、経済的事情の3つが主たる理由です。現在は開店日も安定せず恐縮ですが、何卒ご了承ください。

これまで多くのご愛顧をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。

(以下、いくつか事務的な事柄について)

1)もうしばらくはWEB SHOPを継続して参ります。買い切り以外の委託扱い新本については、精算・継続そのほかにつきまして順次ご連絡いたします(新規には取り扱いができませんこと、何卒ご了承ください)。またご注文商品の発送が遅れてしまう可能性がありますことをどうかお許しください。

2)3月までの間に、何日か開店日を設ける予定でおります。目処がたち次第、X(旧twitter)ほかにてお知らせいたします。

3)当店の自作の棚、木箱についてもご希望の方に販売する予定です。職人さんと作った手作りのものです。販売先は基本お客様をメインとしておりますが、ご要望があればお知らせください。こちらについてはぜひお知り合いの方にもお伝えいただけましたら幸いです。数に限りがありますが、ぜひご活用いただければと思っています。ご検討ください。

実店舗閉店の3月まで、いましばらくお付き合いくださいますと幸いです。

店舗で8年強、素晴らしい出会いの連続で、書物と人の可能性を存分に感じることができました。大袈裟ですが、かけがえのない時間でした。とても嬉しく思います。整えて、新しいチャレンジに向けて再出発できるよう、頑張ってまいります。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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忘日舎 the bookstore
伊藤幸太
〒167-0042
東京都杉並区西荻北3-4-2

12年目の3.11 備忘メモ

(昨日は一昨日の続きである。けれども、昨日と一昨日は違う。全ての一日はつながっていて、まるで異なる。それを実感した。朝、私が不在でもパンを用意しておけば母は食べてくれるかと実験した一昨日。それを「今日も大丈夫か」と思って同じように準備したが、食べてくれなかった。寝ていたようだ)

 

 

6:00~朝食準備。イベント配信用資料作成。途中買い出し。被介護者の状態は毎日異なる。介助人が不在だとご飯を食べてくれない。→上記のこと

13:00過ぎ。店舗。売上はやむなし。ワンツイートのみ。営業中に資料送付。

14:46 黙祷。編集A君と。

17:00 シェアカーのエンジンかからずと電話。友人の子供たちに車内電源を切るクセをつけさせるほうがいいか。

17:05 近くの十字路で子どもを乗せた自転車ママが大転倒。金切り声があたりに。駆けつけて119に電話。顔面を強く打ち付け意識朦朧、痙攣、流血。子どもはパニック。あたりは騒然。救急は早めに到着でバトンタッチ。子どもの不安が気になる。袖に血糊がつく。

17 :15 地域集会所売却に係る説明会に参加(この運動は実は本にもなっている)。40年の時を経て再燃。役人の話に福祉の〈自立支援〉を例に説得を試みる。

19:30 パック寿司と煮物。

20:00 ウォーキング中に高校の連中から突如連絡。向こうは約10人で飲酒中。もう少し〈不明〉でいたいが、ゆっくり〈判明〉させるか。こういうの苦手になったが、少しずつ。

12年目の311。ふらふら。

夏の終わりの覚書

 

2022年の8月はかなり休みを入れた。「自身を休ませる」こと、意識的にそうする必要があると以前から考えていたので、多少は立て直す時間をとることができた。すでに9月に入り、朝夕はようやく涼しくなってきた。季節の終わりはどこか寂しい感じもするが、気持ちは落ち着いてくる。

 

メメント・モリの声

 

ところで振り返ってみると、今夏の休みには三つのことをしようとしていた。

一つは、昨年中に終わらなかった宿題をここで挽回すること。確定申告(!)、終わらなかった査定などがずっと残っていたのは精神的によくなかった。現時点で査定を含めた業務の九割がたはクリアしたので、ほっとしている。

もう一つは、体調を整え、根本的に体と向き合うことであった。50歳を目前に控え、このままだと非常に良くないと直感したからである。昨年は年末にかけて、体が大きく、カーブを描くように丸味を帯びていったのだが、信じ難いことに、今年の3月と比べて体重は8キロ近く減った(食事やアルコール、運動などあれやこれやと取り組んだわけだが、まあまあ努力した甲斐はあった。過信は禁物)。

三つ目。自分の時間を確保して、本を読んだり、出かけたり、体を動かしたり、そして(これが大事なのだが)考えること、である。

この三つのことを念頭に置いて休んでいたのだが、ふとこれら三つのことはそれぞれに関係しあっている、と気づいた。とくに、心身の状態を崩し、かつ文化にふれる機会が減っていくと、結果的に〈仕事〉がうまくいかない。

また、仮に良い仕事をしても、その反動で心身の状態が崩れてしまえば、文化に触れる機会も減り、やがて仕事にもネガティブな影響が出るだろう。下手すると、その仕事自体も失ってしまう。なにかが間違えば、死んでしまうことだってあるかもしれない。

実際、そうやって壊れたり、壊れそうになっている人を少なからず見てきた。歯止めが効くかどうか、追い込んでいる(追い込まれている)ことへのコントロールが可能かどうかについては、その人が生来的にもつ特性にもよるかもしれない。周りの気づきも必要だろう。

心臓神経症というのがあるそうで、私はいっときそれを疑った。いまも実はそうだ。診断を受けたわけではないので、なんとも言えない。春先の検査ではなんともなかったが、いっときは「これはまずいなあ、死ぬかも」と思ったことは確かである。心臓に負担がかかることで、これほど〈死〉を身近に感じるとは思わなかった。

メメント・モリという警句はしかし、翻って生のありようをそのまま自分に問いかけてくる。この言葉がどこからか聴こえてくるように突然に思い出したか、あるいは読んでいた本の片隅に書かれていて、改めて気づかされたかはわからない。もしかしたら、心臓の拍動が「死を想え」と言っていたのかもしれない。

私はこの休みをとってよかったと思っている。休みは大事だ、ほんとうに。

 

「時間について考える」時間

 

休みの目的の一つであった(というか結果としてそうなった)ことは、文化の養分をたくさん摂取する、あるいは旅行でもすることであった。確定申告はなんとかなったし、母親の介護にかかる時間などを考慮しつつ休んでいたとき、私はあることに気がついた。それは、(当たり前すぎてほとほと呆れてしまうのだが)時間には限りがある、ということであった。これに気がついたとき、ほとんど人生の半分以上を無駄にしてきた気がして、途方に暮れてしまった。なんということだ......というような。

私は実家の整理をしながら、時間、時間が大事なんだ、大事な時間が大事、などと、ちょっとよくわからないようなことを頭の中で唱えていたような気がする。そうやって、休みを過ごしていたのだった。

しかし、気がつかないよりはよいだろう。〈かぎりある時間〉について、それをどう配分すればよいか。せっかく休みをとっているのだから、自分の好きなことを、時間をやりくりしてすればよい。さらには、普段できないこともできるだけしようと思い直すことにして、日常のタイムテーブルを組んだ。

 

ヤン・ヨンヒ監督『スープとイデオロギー』鑑賞(渋谷・ユーロスペース

「遠藤滋さんを生かし合う会」参加(世田谷・梅ヶ丘パークホール)

鍼灸の先生の新バンドのシークレットライブ

・国立ハンセン病資料館「生活のデザイン」展観覧

・etc

 

いずれも素晴らしく、その場所を去る際も余韻が残るようなものばかりで、かつ大いにこちらの活力となるようなものであった。

『スープとイデオロギー』は在日朝鮮人の母をメインに撮りながら、娘である監督が母の済州島での記憶を辿るドキュメンタリーである。『海女たち』のホ・ヨンソンさんが登場してオモニと話す場面などで象徴されるように、歴史の重み、記憶をどう紡ぎ繋げていくのかという問いは普遍的なものだ。個人的には認知症になっていくオモニの姿に自分の母を思わずにはいられなかった。

「遠藤滋さんを生かし合う会」は、6月にみた映画からの流れの一環だが、遠藤さんという重度障害を生き切った一人の人間の生の在り方に感銘を受け続けている。

鍼灸の先生のバンドはノイズで、ロックで、しかしとてもオーガニックな実験音楽だった。ドラムに銅鑼、タブラ、バグパイプアコースティックギターシーケンサー(?)などで、最前列にはヘッドギアをつけた女性が座り、脳波から出る9ヘルツ信号を音像化して、その音像をベースとした即興を行う......体ごと包まれるようなサウンドに大きな多幸感。

「生活のデザイン」展は、義足などのモノを通じた入所者の方々の生活から、その歴史へアプローチする展示の方法に斬新さを感じた。生活を明るくするデザイン=モノの存在もまた歴史の一部なのだと。

 

そのほかにも、ここ数年できなかったことができた。たとえば、家に棚をつくる、片付けを進める、など。こういうことは時間がないとできないわけだが、なによりも、「時間について考える」時間は、生きていくうえでとても必要なものだとあらためて気づかされた。計画を立てることもそうであるが、踏み込んで言えば、時間を考えることは〈生〉をきちんと意識することである、ということでもあるはずだ。

よく言われることだが、年を取れば取るほど、時間の流れは早く感じられるそうである。確かにそのような気がするし、年々、より強く感じられる。だが不思議と「時間について考える」時間は、時間そのものをあまり感じさせない。時間を忘れて没頭するのとも違う。没頭は没頭で、素晴らしい時間であることは間違いないけれども。

今年の夏は、久しぶりに「考える」ことのできる時間を持つことができた。こうやって何かをリハビリ的にでも書けていることのありがたみを覚書としておく。

 

追記 2022年8月には精神科医中井久夫氏が亡くなられた。著書のいくつかに大きな感銘を受けたことを付しておきたい。

 

 

 

 

 

桂川潤さんのこと 1年が経って

2021年7月5日、装丁家桂川潤さんが亡くなられた。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14970090.html

桂川さんが亡くなられて1年が経った。昨今は訃報が多すぎるけれども、自分の店を「これでもか」と応援してくださり、厳しくも温かな声をかけてくださったことを忘れない。そのために、草稿としてでも記しておきたい。いつまで経っても書かないかもしれない、自分のあまりの怠惰を戒める意味を込めて。

私は上記の記事よりも早い段階で訃報を知った。全く言葉が出なかった。とにかく、どうして、なぜ、なぜなんだ、という思いでいっぱいだった。電話をくれた私の師匠もまた、にわかに信じがたい、と言っていた。決定的な瞬間というのは、そのときの状況を鮮明に記憶しているものだ。私はその時、店舗は休みで、部屋のベッドに腰掛けていて、師匠と濃密な話をしたことを覚えている。

その後に、各方面へ、主に仕事で関わった方々へ連絡をした。あの1週間はそうした連絡のやり取りも忘れがたい時期であった(ちょうど1年前の時期ではないか!)。同時に、いかに桂川さんが多くの人と「良い」関わりを持っていたのか、それを思い知らされた。皆、桂川さんの死を受け入れることができないような、そんな印象を受けた。それぐらいに、桂川さんは敬され、愛されていたと思う。

個人的な話になるが、桂川さんとの付き合いは、2014年、東京外国語大学出版会刊行の、主に入学生へ向けた読書冊子『pieria』への原稿依頼から始まっている。当時、私はそこでアルバイトの編集を請け負っていた。編集委員の先生から受けた執筆者候補のなかに、私は迷わず桂川さんを挙げた。すでにそのお名前を知っていたこともあるが、何より特集が「書物」であったから。連絡し、快諾してくださり、桂川さんはウンベルト・エーコジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(工藤妙子訳、 CCCメディアハウス、2010)を引きつつ、書物の存在について深淵な、しかしとてもやわらかい考えを展開してくださった。〈現実と異界をつなぐ扉〉というタイトルを付し、装丁者として本を哲学的に考える桂川さんの文章に引き込まれた。

 

 

 

それから、私が古書を扱う書店を開いたことで、桂川さんとの距離は一気に近づいた。2ヶ月、3ヶ月にいっぺんは、必ず店に来てくれた。同時に、メールではとても気遣いのある連絡をもらった。時に飲みにいき、「伊藤くんさ。書店、いや古書店はね。話ができるってのがいいよね。居酒屋的なさ」とおっしゃっていた。実のところ、私はそれを当時、よくわかっていなかった。ただ、今となっては本当にそのとおりだと思う。桂川さんは、私の店のスタイルを見ぬいていたのだと思う。

編集者や版元の担当者は桂川さんの人柄を知り得ていたと思うけど、驚くほど人懐こく、愛情深く、優しい、しかし同時に厳しくも的確な助言をくれた方だった。年齢差を超えた友人でありながら、書物のプロフェッショナルとしての職人と、あんなふうに語りあえたことは奇跡のようだった。

忘れがたいのは、コロナ前の2019年の『弦楽四重奏曲全集 古典四重奏団(5CD)』刊行記念イベントだ。そこに至る経緯も数多くあり、そこには前スタッフの(す)さん、美術家のコイズミアヤさんが大きく関わっているのだが、長くなるので別稿としたい。

ともあれこのCDのアートワークはコイズミさんが担当され、ディレクション桂川さん。イベント当日はショスタコーヴィチの音楽に隠された謎、アートワークについての背景など、さまざまなお話があった。その刊行記念でもあったのだが、当日はなんとメンバーの田崎瑞博さんが来られ、当店のあの狭い空間でJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番~プレリュードの演奏もしてくださったのだった。マニアにはおそらく垂涎ものの会だったはずだ(実際、後日そのように言ってくださったお客さんが何人もいる)。

 

 

そして会が終わったのちのささやかな打ち上げで、桂川さんのティンホイッスルだったと思うが、アレグロでの即興があった。なんという多才。店にいたみんな、喝采の声を桂川さんに向けていた。私はお客さん対応でてんてこまいだったが、多くの人を魅了する存在そのものに呆気に取られていた。

 

前後するが、2018年の秋か、そのあたりだったと思うが、私がもろもろを思い悩んでいたとき、桂川さんは「気分転換に」と言って、ドライブに誘ってくださった。行き先は国立ハンセン病資料館で、周辺の散策もした。資料館は2回目だったと思うが、その時は展示をじっくり拝見した。そのとき、桂川さんの若い頃だろうか、ハンセン病患者の方々の記録を残す活動などをされていたことも知った。いま思えば、間接的に多くの視座を与えてくださったのだ。私はその時、なにかさらに考えようとしていた矢先だったのだが、そこで桂川さんは、「じゃあ、ご飯にしよう!」とか言って東久留米卸売市場まで私を車で連れていき、「ここがいいんだよ、刺身定食がね!」 と屈託なく笑いながら、案内をしてくださった。こういう切り返しが、なんとも桂川さんなのだ。

多くの人が、桂川さんの愛情溢れる人間性に惹かれていたのではないだろうか。私は全く持ってそのひとりだ。デザイナー、装丁者、出版人として、業界を真摯に考え、そこで真剣に生きた人。同時に、書店、古書店、そこで働く人々への敬意を決して失うことなく、同じ目線で愛を注いだ人。もっと言って、本を愛するすべての人に、高低のない視点で接することができた人。私は桂川さんをそんな人として、いま思い返している。

なんだか最近は本当に訃報が多くて、ちょっとついていけない。もちろん、すべての人はやがて死ぬ。ただ、私は桂川さんについて書きたかった。というより、忘れない、ということを自分に課す必要がある気がしたのである。「書けて」などいないのだが、書物について、そして人について、多くのことを教えていただいた大恩人の一人に、没後1年を期して、心からお礼を申し上げたいと思います。

 

桂川潤さん、ほんとうにありがとうございました。わたしは、まだそちらには行きませんが、その際には、ぜひ楽しく、美味しい酒を飲み交わせることを。

 

 

ある本について

4月4日(月) 雨。神保町の取次JRCへ。

寒い一日で、春の寒暖差を体感する午後で、冷たい雨がずっと降っていた。

こんにちは、忘日舎です。そういっていつもどおり店内にある書籍に目を通す。みなさん伝票整理や在庫管理などで多忙であった。

なんだか申し訳ない気持ちを少しだけ抱えながら、新刊、既刊、返本手続きがされたと思われるものをじっくりみて、これはうちでは売れるだろうか、どうだろうか、などと考える。店内を一周する。週ごとの日課のようなものでもある。自分で読みたい本も数多くある。予算との兼ね合いもあるから、財布事情も含めてなかなか難しいのだが、堪え難い楽しみでもある。

 

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今日、この本がささっていて、手に取った瞬間に、ああ、ああこれは素晴らしいと直感した。売れるだろうと思ったし、個人で読みたいな、とも思った。だがいちばんは、装丁なのだった。わたしは今これを書いているけれども、まだ1行も読んでいない。内容はおそらくいいだろうし、だいぶ胸に迫るものだろう、と予感する。

ただ、この本は、ちょっと違うのだ。いい本としての出来映えが違う。これはいい本。もっというと、これこそが本だ、本だよ。皆さん。そのくらいにまで、また素晴らしい本に出会ってしまった、というたしかな感触を得たのだった(盛っているというのではないが、その時の熱量を忘れないように、このように言っている)。

つまりある想像をしていた、ということなのだが、この格子柄の布の画像を、ジャケットで使う紙でどのように再現するか、ということをしていたのではないか。そんなことを考えて、わたしはひとり悦に入り、ああ、いいなあ、とずっと「立ち読み」ならぬ「立ち眺め」をしていたのだった。人差し指をそのジャケットのうえではしらせる。持ち重りも確認してみたりする。コンパクトで、控えめで、しかし内容も含めて間違いなく買いたくなるような本。

わたしは、「本は物である」といった桂川潤さんのことも思い出した。本は物質で、存在している。本は、触るだけで、こちらの精神を揺さぶるような〝もの〟なのだ。

今日は天気がよくなくて、調子もそれほどいいとは言えなかった。だがなんだか久しぶりに原点に立ち返ることができたような気がして、またひとり悦に入っていた。結局一冊だけ買った。来週末以降には入荷できるよう、手配を進めようと思う。

 

村井理子『家族』(亜紀書房、2022年)

装丁:名久井直子DTP:コトモモ社/印刷・製本:株式会社トライ

 

 

 

 

 

選書実績報告|スタディールーム (東京都江東区)

 

2021年5月、岡松利彦建築設計事務所www.okamatsu5.jp)様の設計によるPBT スタディルーム(東京都江東区)での選書を行いました。

 

                                       

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依頼から発注、棚のイメージを考える

3月に依頼を受け、当スタディルームのコンセプトを受け大枠で選書作業を開始しました。その後、店舗在庫確認、また新規書籍の発注を行い、ブックリストを作成。その一覧をもとに、さらに商品の変更、追加などを経て、ようやく5月に納品に至りました。今回は既知の編集者の方にも声をかけ、アドバイスも得ながら幅広いジャンルをセレクトすることとなりました。

 

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PBTスタディルームは某高層マンションの管理人室を改装。居住する方々に向け広く空間を開放していくコンセプトで設計・施工がなされています。スタディルームという名称から、在宅ワーク向けの環境ももちろん整えられていますが、お子さんやお母さん、ご高齢の方など、全ての方の利用を念頭に置いた心地よいスペースです。生活全般における気づきや発見を導くきっかけとなるような本をイメージし、選書しています。

 
選書サービスの開始について
当店では来春に向けて新しい選書サービスを本格的行なっていく予定です。より広い視点から、本のもつ可能性を広げていきたいと思います。

 

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[これまでの選書実績]
新潟県村上市にある地域施設

*神奈川県のインターナショナル・スクール内・コミュニティスペース

 

お知らせの余談〜なんでこんなことになっているのかについて

これは殴り書きで、あまり人にご覧いただけるようなモノではありません。ただ、状況をあるていど整理したく記しています。

簡単に言ってしまえば、

「あなたのお店は最近休んだり短時間営業だったりしてますが、どうなってるの? 」   

という質問(誰かに聞かれているわけでもないのですが)に対して、それなりに言い訳を書いておこうと思った...。そういうことです。

 

わかりにくいことが多すぎたこの一年

緊急事態宣言が何度も出されて、延長が繰り返され、小売店としてどうすればいいのか、大変わかりづらい状況が一年以上も続いている。この件でピンポイント的に狙い撃ちされた小売業の方以外には、このあたりの事情はたいへんわかりにくいだろう、と思います。

これまでの宣言下において出されたのは、古書店は休業要請の対象であり、新刊を扱う書店は営業してよいよ、というのが行政の基本的な方針でした。当店は、基本的に「古書店が新刊書籍を扱う」スタイルなので、休業要請対象ではありましたが、実際は「依頼」程度であり、強制力という意味では緩やかなものであった、とは言えると思います。休業すれば給付金が出るし、営業すればお金は出ない。違いはそれだけでした。

つまり古書店は、休んでも営業してもどちらでもよい。そのため、そのときどきに、各店は状況に応じて対応していた。営業している古書店があったり、実店舗を閉めている古書店があるのは、そうした行政の極めて曖昧な姿勢によるものであったと結論づけてよいと考えます。

 

6/20まで延長された宣言下では、古書店は休業要請の対象から外れました。つまり営業はOKになりました。それは、ここからは給付金は出しませんよということを意味している。

そういう経緯があるわけですが、当店としては開催予定の東京オリパラ(にわかには信じがたい本物のディストピアの現出)が終わる頃までは、匍匐前進するように営業を行うこととしています。いろいろと思考が追いつかない世界の暗澹たる状況に、気絶寸前です。

 

短縮営業にしようと思った個人的な事情

もう一つは、個人的な事情です。1)親の介護・看護の行政上の手続きの本格化、2)プライベートでの法的権利関係手続きが開始(これはホントにもらい事故のようなもので、この件で私に落ち度の余地は全くないとはっきり言えるのですが、どうしても私がやらねばならない案件があります)、この2つに加え、大変ありがたいことに、ここ1〜2ヶ月で40箱近くの古書をお寄せいただき、従前からの整理分と合わせると、ちょっとこれは...キャパがついにオーバー...ということで、営業時間の短縮化を図り整理を進めたくそのジャッジをした、ということなのでした。

 

配信を含むイベントの充実のために

イベントについても、去年の配信イベントを9月に開始して以来すでに11回(!)行っており、技術面での刷新なども含めて少し時間がほしい、ということもあります。イベントはとても楽しく、意義があると思っています。ただ、無理が全くなかったかというと必ずしもそうではなく、かえってご心配をおかけしたかもしれませんことは、ここに記してお詫びします。このあたりは、やり方も見直しをはかって、よりよいものにして参ります。

営業時間等の短縮のため、基本は秋頃まで金・土のみの営業です。週2日ではありますが、感染予防対策をしっかりしながら開店します。また、喫緊の6.12は土曜日ですが、その日はイベント(とても楽しみ)のため通常営業はなく、おやすみです。秋頃まで決まっているイベントも、全ていいものばかりです。ぜひご期待ください。

 

お知らせの余談として。本当になんでこんなことになっているのか。不可解なことはまだ続きそうではあるけれども。